表現者になれ!

書かなければ残らない

オリジナルの歌を作った - 今を生きる僕たちは

突然だけれど、文章だけで人を感動させられる人を、素直に尊敬する。

溢れる思いの丈を、美しい言葉選びや、わかりやすい比喩で、的確に文字に起こしていく。緩急を付け、引用や対比等の技法を駆使して、読む人の心を揺さぶる。

僕もそういうセンスを持っていればよかったのだけれど、僕は淡々と書くことしかできないみたいなので、音楽の力に頼ることにした。

と書くと逃げているみたいだけれど、じゃなくて単に、「自分が最も心を揺さぶられ、揺さぶれる手段」は音楽だと思うから。

失敗した時、何もやりたくない時、明るい音楽を聴くと、脳の中でスイッチが切り替わったように一瞬で明るい気持ちが蘇ってきた。何でもないニュース記事でも、感動的な音楽を聴きながら読んでいるとなんか泣けてくるくらい、音楽の力は自分にとって大きかった。

入院中も音楽から計り知れないパワーをもらった。sumikaの「ファンファーレ」。映画「君の膵臓をたべたい」のオープニングテーマだ。50回は聴いた。いつしか、自分の中で、入院中の応援歌ということになっていた。歌詞のサビが特に応援されてるっぽくて。生きるのが嫌になった11月3日は、これを聴いてアホみたいに泣いた。


はじめて作った、自分だけの歌。

オシャレでもなんでもない、ストレートな歌詞だけど、伝えたいことを詰め込んだ。

これは自分による、自分のための応援歌だ。そして、誰かのための応援歌になることも期待している。

もし僕に何かあったとしても、この歌が分身となって、僕の好きな人たちを前向きに、励ましてくれるといいな。


それでは聴いてください。

「今を生きる僕たちは」



今を生きる僕たちは


(2019年9月8日 追記)

noteにもアップロードしました。動画ではなく音楽として聴きたいかたはこちらをどうぞ。

note.mu

ザマアミロ

半年前、病名を知った直後、自分に降りかかっているあらゆる未知をとにかく理解しようとした。全部受け入れてから前に進もうと思った。

予後・治療・生存率。調べ、読み込んだ。

「生」と「死」について考えた。 考えて、考えて、考えて…


病棟は命と戦う現場だ。

入院して真っ先に挨拶してくれた、車椅子の彼。11月末頃に嬉しそうに退院していった。「もう戻って来ちゃダメですよ」と声をかけて送り出したけれど、彼は病院ではなくこの世を去ってしまった。

また別の日、病室の扉の前で涙を流す人。「ありがとうございました」の言葉。その人を取り囲む複数の医療スタッフの表情を伺って状況を察したこともあった。

死はリアルなんだ。存在と自我の最終局面。生が消えて、自分が無に帰する瞬間。必ずいつか訪れる。 目の前で実例を見せつけられた。その度に心を揺さぶられ、今までの人生で最も自分の死について考えた。「僕はいつか死ぬ」と何度も口にして、頭の中で咀嚼した。

でも。

いつまで経っても、なんのリアリティも感じられなかった。生は目の前に当たり前にある現象で、死はあの日に読んだ小説の中の絵空事であり続けた。生きているのが当然だというように生きることしかできなかった。

死後の世界に期待を寄せていたわけではない。

鉄は錆び、プラスチックは紫外線劣化し、有機物は腐敗する。劣化しないデジタルデータでさえ、ハードウェアが壊れればあっけなく消える。 形あるものもないものも、こんなにも脆く儚く壊れてしまうのに、「意識」だけが身体を失っても特別に残り続けるなんて、都合が良すぎる。 死後の世界なんてないし要らないと、ずっと思ってきたし、今も同じだ。

現実の問題として、自分の生命が今あるのは偶然であり、いつ終わってもおかしくないと納得したかった。そうすれば今を大切に生きられると思ったから。でもそれは叶わなかった。

自分の想像力なんて思っていたよりずっとちっぽけで、目の前にあることだけしかちゃんと見えないのだと知った。悔しかった。


病気になる前のいつだったか、こんな一文に出会った。ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の言葉だった。

「たとえ運命の力に逆らえずに、病気が、さらに進行しても、それは、身体だけであって、いくら恐ろしいALSと言う病気でも、僕が幸せと感じる「こころ」までは絶対に奪えない、ザマアミロ」

僕の祖父も同じALSでこの世を去った。まだ幼かったので鮮明な記憶ではないけれど、日を追うごとに動けなくなり、意思疎通が難しくなっていく祖父の姿を覚えている。彼が幸せかどうかなんてわからなかった。ALSという重く苦しい病気の中で「幸せと感じる『こころ』までは絶対に奪えない」となぜ言えるのかと、最初読んだ時は思った。

けれど、「死をどうしても意識できない」という自分の体験を通して、この一文を見直すと、見えてくるものがあった。

「僕らは限りなく素直に生を享受できる」

毎秒毎秒生きていることを確認しなくても、自然に生きることができる力が、僕らにはある。病気がいくら身体を蝕もうとも、命ある限り、生は当たり前の存在であり続ける。白血病にもALSにも、生きているという主観まで覆す力はない。

だから、「生」の上にある感情だって揺るがすことはできない。

病気がどんなに身体をボロボロにして自由を奪って、僕の好きなことをできなくしても、僕が「好き」って思う気持ちに疑念など抱かない。たくさんの人に支え、助けてもらった「ありがとう」の気持ちを疑うことなど、絶対にない。

なるほど、ザマアミロ。

たとえば、次の瞬間に死んだとしても。それでも、「これまでの僕」を侵すことは白血病にはできない。痛い検査を受けても、頭痛が酷くても、吐き気に苦しめられても、前向きに生きてやった。お前が殺した患者仲間だってみんな同じだった。ザマアミロ。

生の価値を噛み締めながら生きることはできなかったけれど、それは裏を返せば「生きている実感」は病気ごときが揺るがせるものではないということでもあった。悔しいどころか、むしろ誇らしく思えるようになった。

ココロは強い。ザマアミロ。

「がんになってよかった」と言える強さ

 京大生の白血病患者の彼とは昨年、入院中に知り合った。

彼とはあまり院内で話すことはなかった。というのも、とても忙しそうだったから。 それもそのはずで、彼には入院を理由に卒業を遅らせるつもりはないのだった。食堂(フリースペース)で教科書を読んだり、レポートを書いたりしているのをよく目にした。

彼をよく知るきっかけは年始のYahoo!ニュースだった。アプリで「がん」の文字を見て反射的に記事を開くと、彼の闘病のことが綴られていた。

記事を通して、彼がブログを書いていたことを知った。

ブログを読んでまず、彼の多才さに驚いた。ブログに溢れる文章力。陸上をやっていたこと、ピアニストだということもブログで知った。そして、京大に受かる実力も持っている。イケメンでコミュ力もある。

  ブログは2つあって、片一方はフランクで、片一方は文学調。3日くらいかけて全部の記事を読んだ。

フランクな方のブログは、自分の病気について噛み砕いて説明した記事が多かった。医学生ではないのに、よく調べて書かれていて、自身のブログ - T-ALLを「知って直す」 - のタイトルを恥じた。

文学調の方のブログには、彼の内なる思いが記されていた。がん患者としては先輩だけれど、知り合いで、同世代で、同じ病気。近しい境遇の人が巡らせてきた考えの重さと深さに、強い刺激を受けた。

http://yoshinashigoto.hatenablog.jp/

彼のYahoo!ニュース記事のタイトルには、ブログから引用した、「がんになってよかった」という一言があった。その言葉は、多くの批判を浴びたという。

 コメント欄が荒れるのは無理もなかった。 [癌になって良いはずがないだろう][強がりだ][それは生きているから言えることだ][私の母は死にました][癌になって良かったですね]

ライス or ナン?

的外れな批判だ。

がんを喜ぶ人はいない。なりたいか?なりたいわけがない。

しかし、今や日本では、2人に1人が生涯で一度はがんを経験する。がんを抱えて生きたことが不幸なら、日本人の半分は不幸なのか?

「なる」という動詞は様々な文脈で使われる。「医者になる」というときの「なる」は自発的意思を含んでいる。対して、「がんになる」の「なる」は意思を含まない。がんになるのは、運命だ。

運命は不可逆的で、どう言っても、現実が変わることはない。朝起きたらがん治ってました、なんて奇跡は起きない。

がんを宣告された時点で、がん患者としての人生を歩むことを強いられる。今までの生き方を変えるしかなくなって、それぞれが道を模索する。その過程で、否応なしに変化を迫られる。

がんという試練をきっかけに、人生を良い方向に変えることができる人もいる。だから、「『僕は』がんになってよかった」。彼はそう言いたいだけだ。

僕はナンを食べてナンのレビューをしただけだ。何が悪い? カレーはライスで食べるものだ、手で食う奴は汚い、そう言いたいのだろうか? 「逸脱したもの」を排他する風潮、きっと彼らは自分の信じるレールが常に正しいと思い込んで言うのだろう。「留年は怠惰」「離職は甘え」「病気は悪」、じゃあお前は一体何者なんだ? 何に挑戦したんだ? ずっとライスばかり食いやがって。ナンの味知らねぇだろ。難の味。ナンセンス。

ライス or ナン?


ブログを読破したあと、彼に連絡をとって、3月5日に、検査のついでに会いにきてくれることになった。

食堂で、2時間くらい話した。「がん患者としてどう生きるべきか」という話が中心だった。

話の半ばで、僕は彼にこう言った。

「がん患者としての気持ちを共有できた」

安易だった。

二度のがんを経験し、白血病に関しては辛い移植を経験してなお、単位を取りきって大学に通う彼。

移植予定もなく、万全のサポートを受けて「卒業させてもらった」僕。

境遇を聞けば聞くほど、彼と僕は違った。何を共有できるというのだろう。彼に比べれば、何も辛い思いなどしてこなかったのではないか。十分の一の努力もしてこなかったではないか。

「共感」という言葉は怖い。感情という、一人ひとりが独立して持っているものを、他人に対して「推論」する。推論に明確な根拠を提示することはできない。「何となく同じだろう」というだけ。安易な「わかる」という言葉は人を傷つけ、逆に「わかってもらえない」と思わせる。

入院はじめの頃、「どうして、社会にとって貢献していない自分一人のために、ここまで治療してくれるのだろう」と何日も考えた。存在価値とは何だろうと自問自答した。結論として、僕が何らかの価値を生み出すことを期待して、前借りを作ってもらっているのだと、考えることにした。だから、生かしてもらえる意義は、これから作らなければいけないと思った。

しかし実のところ、僕は入院に甘えてきた。恒温の病室で、一日中なんのタスクも与えられない環境。常に自分の体調を気にかけてくれる医療スタッフ。いつしかそれが当たり前になって、何となく一日を過ごして、「入院生活は経つのが早いね」なんて口走っていた。

入院の一日一日を当たり前のように消費していたら、がんを単なる「不幸」にしてしまう。ただ、人生に非生産的なパートができただけになってしまう。

病気が辛くてどうしようもない人にとって、それはしょうがないことかもしれない。でも僕は違う。有意義に使える時間を使わないで、他の患者にどう顔向けできるのか。「君の人生の時間を分けてくれ」

誰にとっても、明日が来るという保証はないけれど、普段はそれを意識しない。多分、生き物はみんなそういう風にできている。そうじゃないと、死の恐怖に潰されてしまうから。

しかし、明日の保証がないのは事実なのだ。みんな、今という時間でのみ生きている。未来を先取りしたり、確約したりしておくことはできない。

あと何日、何週間、何年生きることができるのか、そんなこと誰も知らない。けれども、病人であろうがなかろうが、人はそもそも、「限られた時間の中」を生きているんです。

Summer! - 或る闘病記

がんになって、その前の日常は消え去った。大好きな旅も、登山もできなくなった。そういう楽しみが戻ってくる日々を待ちわびる気持ちは、いつも持っている。けれどもそれだけではダメなのだと、彼を見るたびに思う。今、僕は入院しているのだ。その時間も当然、大切な人生の一部だ。

言葉通りではないが、彼はこんなことを言っていた。

入院生活や、辛い体験そのものを覚えておく必要はないと思います。そうじゃなくて、その体験を通して、この先の人生のベクトルを良い方向に変えることが、がんを通して得るべきものだと思います。

「がんになってよかった」と言えるには、ある程度の恵まれた環境が前提だ。そして、それ以上の本人の努力が必要だ。立派な入院生活を送ったからこそ、言えるのだ。

僕も、彼のように、今を大切に生きたい。「がんになってよかった」と言える日を信じて。