表現者になれ!

書かなければ残らない

世界が理に尽くさぬのなら

令和2年が始まって早々目にしたとあるツイートに、この世界は理不尽だと、また強く思わされた。

2020年、あけましておめでとうございます。

昨年は本当に多くの方に応援いただいた一年でした。ありがとうございました。

新年早々こんなことを言うのもアレですが、白血病の再発による三度目の移植が決まりました。次失敗すれば死にます。

勝負の年、何とか生き抜く。

よろしくお願いします。

12:00 AM - Jan 1, 2020 written by 山口雄也

なんらかの知的生命体が個々の運命を決定づけているというのなら、僕は全力でそいつをぶん殴りたい。

何度も底に落とされては這い上がって、生を得ようとする人に味わせたいのが、再々移植?ふざけるな。


1年前、「神は乗り越えられる試練しか与えない」と日記に書いた。でも、そんな風に神を肯定することができなくなる出来事が、そのあと何度かあった。

そのうちの一つ。SNSを通じて知り合った移植患者の女の子がいて、移植前から連絡を取り合っていた。移植は順調に進み、夏の終わりに退院を祝った。退院後の生活は、体調が安定しなかったり、時には気持ちが落ち込んだり、大変そうではあったけれど、外の世界で過ごす楽しさはひしひしと伝わってきた。神社にお参りに行ったり、(許される範囲で)動物と戯れたり…。僕が遠ざかり、忘れかけていた広い世界を追体験させてくれるようで、見ていて幸せだった。楽観的な僕は(移植に対する理解不足も多分にあったが)、彼女がこれから良くなっていくのだと、信じて疑わなかった。

彼女の退院を喜んでからわずか2ヶ月、メッセージが届いた。「再発しました。明後日入院します」と書かれていた。

重い現実が唐突にやってくると、理解するのに時間がかかる。頭より先に動いたのは身体のほうで、何の種類の感情かもわからないまま、ただ枕を殴って涙を流した。返信を書いては消して、結局、どんな言葉にもならなかった。その日の晩は全く眠れなかった。


1年前の今頃、僕が移植を受けるか否かは、決まっていなかった。

血液内科に入院して2日で白血病細胞が15%増え、進行の速さゆえに治療を前倒しで受けた僕は、「標準」「高い」「非常に高い」の3つに分かれたリスク群の中で「標準」には入れないことだけ、早い段階で確定していた。となれば、残された分岐は2つ。「高い」であれば、抗がん剤治療。「非常に高い」であれば、移植。分岐器の切り替えレバーを握るのは検査結果だけで、僕は頭痛に苦しみながらただ待つことしかできなかった。

何事も、データでわからない部分については、かなり楽観的に捉えるクセがあった。肺の間に腫瘍があると言われたときも、それが癌(悪性リンパ腫)で血液をも冒している(白血病)と知ったときも、急性リンパ性白血病の中では予後の悪いT細胞性だと知ったときも、いつも「どうせ僕は治る」と信じて疑わなかった。強いように見えるかもしれないけれど、単に、正常性バイアスが強くて、悪い方向に想像力が働かないだけなのだと思う。

蓋を開けてみれば、実際に、僕は非常に深いレベルで寛解(がん細胞が検出されない状態)に至ることができていて、移植をせずとも済むことになった。

その後も、神(?)の采配がよく、僕は生死を争う舞台を降りられた。けれど、僕はコイツに感謝するつもりはない。一度つけた傷の重みを知らないから。

右目の端を押せば、治療により欠けた視野が、縁の滲んだ闇となって視界に現れる。これは僕が見た死の世界のイメージそのものだ。二度と見たくもない世界の残滓を植えつけて、「これで忘れないだろう?」と得意げになっているのだろうか。

何より、最大の傷は、仲間と描いていた未来の喪失だ。自己完結的に僕が幸せになれると思っているのなら、神(?)の人間への無理解も甚だしい。

「退院したらバンドやろう」と約束していた音楽好きの仲間を先々月に失って、彼と作るはずだった音楽は二度とこの世に生み出せなくなった。「ひとモノガタリ」に出演した3人で語り合う日は、1人が旅立ったことによって、どう足掻こうとも訪れなくなってしまった。

なぜ助からない人がいる?その人が、どんな罪科を背負ったというのか。命を奪うに値する罪なんて、どう考えても背負っていない人たちだった。

早い死をその人のアイデンティティとは捉えないよう気をつけている。どんな人に対しても、人生そのものを「かわいそう」と形容したりは絶対にしない。みんな、哀れまれるよりも重要な価値を生み出しているはずで、第一に捉えるべきはそちらのほうだ。

それでも、大切な仲間がいなくなったという喪失感を、僕は今も受け入れられない。


生も死も受け入れようとする山口君は、呆れるくらいに強い。

「ヨシナシゴトの捌け口」のいくつかの記事を読み返した。僕が表現を始めた原点であり、憧れでもある、彼の豊かさと強さの結晶。

彼はただの強がりだと謙遜するかもしれないけれど、死と向き合いながら生を掴もうとするほどの力は、外面だけで得られるとは思わない。本当に強いのだと思う。もちろん先天的に。そして、運命のせいか、おかげか、後天的にも。

僕の知る範囲にない、強大な痛みや苦しみを経てなお、諦めを知らなかった。病を理由として何かを捨てることを嫌った。強くあろうとする姿勢は、SNSやマスメディアを通じて多くの闘病者を勇気づけ、がんに対する一般的なイメージにも変化をもたらした。

「かわいそう」と言われるより前に「すごいね」と言わせてしまうような実績を、彼は自身で築き上げてきていた。まぶしくて、かつ、悔しかった。彼に追いつくことが、しばらくの間、僕の最大の目標で、実際に僕は計り知れないプラスの影響を受けた。

2018年の僕は、翌年の自分が作詞作曲し、テレビ出演し、これだけ幅広い繋がりを得るなんて、考えもしていなかった。命に関する考察も、彼なしでは得られなかった部分がたくさんある。

強さもずっと追い求めてきた。しかし現実に、僕は、死の世界をただ一度見つめただけで折れるほど、弱かった。あるいは、弱さを認めても許されたと言える。

彼ほどの強さは誰にだって持てるものではない。類稀なる強さの価値を認めれば認めるほど、それが発揮されるのが、生死を彷徨う舞台であり続けてほしくなくなる。 − こんなのは、命と向き合い続けなくて済む者のエゴなのだろう。きっと。

「未来は不確定だから、あまりに希望的と思われる予測も、本当になる蓋然性はある」。これは科学的にも正しいと考えられている。ミクロな粒子は、それが本来超えられるはずのないエネルギーの壁(ポテンシャル障壁)を通り抜けることがある。人間も原子というミクロな粒子の集合体だから、無限回の試行を行えば理論上、人間は壁をすり抜けられる。

しかし、人生の時間は有限だ。「無限回の試行」という仮定そのものが成立しない。したがって、背理法によって、「人間は壁をすり抜けることは(事実上)不可能」という結論が導き出される。

理想と現実は違う。では、こんな理不尽な現実とは今すぐ決別したいのかと聞かれたら、迷ってしまう。なんだかんだ言って、嫌いにもなりきれない。宇宙という壮大なシステムに、欠陥品の烙印を押せるほど賢くはないから。

いいとこ取りで、甘い。そう、甘い。

でも、僕はいつも甘い想像を抱いてしまう。また、鴨川デルタで笑顔で話せる日が来るという気がしてならない。「ありがとう」も「ごめんなさい」もあるけれど、会ったところでちゃんと全部を伝えられないのだろう。でも、直接会うことは、ほかの手段と比べてずっと多くの情報をやり取りできる気がする。何より、ただ、元気な顔が見たい。

明日の保証もないと感じた、あの頃の思いを、僕はもう追想できなくなっている。それほど、一般とはかけ離れた空間で生きてきたのだ。でも、出会った人たちのことは忘れていない。むしろ一層大切に思うようになった。その人が希望を抱いて生きているということを、心から嬉しいと思えるようになった。

だから、移植が「治す」ことを目的にする限り、僕は勝手に、都合の良い未来だけを信じて、祈り続ける。世界の理不尽さが、奇跡を起こすこともあると、信じていたい。